とりとりの里

夏目漱石の小説「こころ」 Kは他殺説の考察(2025-02-27)

「こころ」は叙述トリックによる完全犯罪のミステリーホラー小説なのではないか、という考察のまとめです。 元のツイートはこちら


先生とかけて遺書ととく。そのこころは?

夏目漱石の有名な小説「こころ」。
偶然見つけた「Kは他殺」という内容のツイートが気になり、こちらのnote(漱石「こころ」考察14 Kは他殺?不慮の出来事)を読み、自分なりの考察を書きました。
「こころ」の参考図書は「青空文庫 こころ」

この考察は小説の既読前提でネタバレ満載な上、ある人物をひどく貶める内容なので注意してお読みください。

「こころ」の主な登場人物
私・先生・K・奥さん・お嬢さん(妻君)
はこのままの形で記述します。

目次
【概要】
【先生】
【K】
【奥さん】
【お嬢さん(妻君)】
【私】
【タイトルの謎】



【概要】


・第三章にあたる《下 先生と遺書》の語り手の先生はいくつか小さな嘘をついている、そして核心的なことを語っていない。
・《下 先生と遺書》は先生の内面描写ではなく私への手紙なので、そこに事実が語られていなくても小説として自然である。
・Kを殺害したのは先生。文字通りの殺害であり、精神面でKを追い詰めその夜に自殺させたのではない。
・動機は「Kに自殺を決意させたのが先生であることを、お嬢さんに知られたくなかった」

あるときKが自殺する準備をしてることを知った(おそらくKが書いた先生宛の手紙を見てしまった)先生は、原因は失恋だと決めつけ焦った。
もしKが自殺して死因が明らかになれば自殺の要因であるお嬢さんは傷つき先生は軽蔑される。結婚も白紙になるかもしれない。
幸いKの手紙にお嬢さんに関する記述はない。まだ間に合う、遺書を残して死なれる前に自殺に見せかけてKを殺してしまおう。
先生は突発的にKを殺害した。これでKの死亡に先生は無関係であると言い張れるし、お嬢さんは純白でいられる。


【先生】


先生とは一体、どのような人物なのだろうか。

作中から読み取れる先生という人物は
・自分の正当性を示したくて神経衰弱のKを下宿先に連れ込む
・奥さんがKの受け入れに反対しても自我を突き通す
・Kの襟首を掴んで海に突き落としたらと脅す
・恋敵を蹴落とすために強い言葉を二度も浴びせる
・喧嘩した学友の制帽事件をごまかす友人とつるむ(友人が骨を折ったと手紙にあるが、ほんとうは先生がやったのでは?)
・斥候長ごっこ遊びをする子供に謝罪もせず、銅貨を握らせて買収する
・交友関係が狭いわけでもないのに私が依頼した東京での仕事探しに関して何も取り組まず、手紙では言い訳ばかり
・親戚にまんまと資産をとられる迂闊さ
・恋に浮かれてまわりが見えなくなりがちで観察眼などが乏しい
・せっかく東大を出たのに学問も勤労もせずにただ家で過ごすだけ
と、読者から見ればあまり「先生」と呼びたいような立派なものではない。
どちらかというと図太く鈍い神経と狡猾な思考をもった人物である。

善行といえば
・妻君への深い愛情
・Kが死んだとき奥さんに「自分が悪い」と正直に頭を下げた
・奥さんが病に倒れた際、献身的に介護した
程度のもの。

しかし私は小説の冒頭からこの人物のことをずっと「先生、先生」と呼び敬い慕っている。なぜか?これは作者が仕込んだ読者の思考を誘導するためのトリックではないだろうか?

先生=
立派で偉い人=
Kに抜け駆けしたことで殉死を選ぶ尊い人

というように知らずのうちに読者は、先生は「先生」と呼ばれるくらいだからきっと立派な人で、手紙で嘘なんてつかないし裏切りを悔やんで殉死するのも納得だ、と思い込まされているのでは? 《中 六》と《中 十五》にて私の父・母・兄も、 この人は何かやっていたり著名の士であるはずだ、と勝手に立派な人物像を作り上げている。
私が先生は「何にもしていないんです」と言っても考えを変える様子はない。この小説の読者も同じではなかろうか。

こんな、たいして偉い人物でもない先生がもしKが失恋が理由で勝手に死んだとて、病に倒れた奥さんへの奉仕、子供を作らない罰、殉死を選ぶだろうか。償いとしてはやや大袈裟だ。 Kの自殺の原因が先生の抜け駆けや裏切りだとお嬢さんにバレているわけでもなく無事に結婚できているのだから、先生なら図太く生きていきそうだ。
自殺がきっかけで改心したと考るのも普通だが、殉死を選ぶほどの出来事(=先生の勘違いによる身勝手な殺害)があったのでは。
上 十九》で妻君と私はともに、人間は親友を一人亡くしただけでそんなに変化しない、と考えている。 この時点で二人はKの死に先生が関係していることは知らないが、二人から見てもKの自殺と先生の変化は釣り合っていない。

私はずっと先生を慕う気持ちで「先生」と呼び続けた。では先生が友人を手紙のなかでKと呼んだのはなぜか。
Kの名前は私宛の手紙を最後まで読めば、事件がいくつかの新聞に載っていることがわかり簡単な調査で知ることができるので、Kのプライバシーを守るために名を伏せる意味はない。
それなのに先生はわざわざイニシャルトークをしていた。そんなに名前を呼びたくなかったのか先生。友人と言いつつ、実はかなりKの事が嫌いだったのでは?
私も小説の冒頭で「よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。」と述べている。私から見ても先生とKの仲はよそよそしかったのだろう。

こちらのページ(togetter)で夏目漱石へのファンレターの返事が確認できる。夏目漱石による先生の評価は「名前はありますがあなたが覚えても役に立たない人です」とのことだ。 この小説について「あんなもの」「子供がよんでためになるものぢやありません」と言っているのも興味深い。



【K】


Kは一体どのような人物か。
おおざっぱに言えば「不器用で頑固なくせに豆腐メンタルなイケメン坊主」で、頭はガチガチ、死ぬ前に丁寧に手紙を残し後始末を願い出る、開けた襖はいつもちゃんと閉めるタイプの律儀な寺息子である。先生と比べて背が高く大学の成績も優れている。
お嬢さんへの恋話をするときは唇を震わせる仕草をするいじらしさもある。ちなみに恋愛は寺の教義に反する。さらに家庭環境は悪くお金もなく将来に希望は見えない。

そんなKが自殺するつもりで先生に手紙を残したことは確かだ。
では、自殺の「動機」は一体なんだったのだろうか。(学校の国語のテスト問題によく出てくるやつだ)

それは、Kが自分を精神的に向上心のない馬鹿だ、と思ったからだろう。

真宗寺では恋はNG、精進の妨げになるのにKは恋をしてしまった。そんな自分に向上心はなく将来なんて見えない。いままでずっと見下してきた類(たぐい)の人間がK自身だと悟ってしまった。だから自殺を決意した。
決して失恋して悲しいから先生を恨みつつ自殺しようとしたのではない。

そもそもKが先生への手紙を書き上げた時にはすでにKからお嬢さんへの恋心は消え失せている。
なぜなら奥さんがKに先生とお嬢さんが結婚することを伝えたときに唇を震わせる仕草をまったく見せなかったから。人生経験豊富な軍人の妻で先生よりはるかに勘が良さそうな奥さんが、Kになにかしらの変化が起こったとしたら見逃すはずがない。結婚を知る前からKのお嬢さんへの恋心は消えている。
つまり先生がプロポーズしようがしまいが、Kはお嬢さんからは身を引いて覚悟を全う(すなわち自決)するつもりでいたと推測できる。
Kは《下 四十二》にて「覚悟、――覚悟ならない事もない」と言っており、この覚悟とは恋慕のまっとうではなく自殺の決意。

ところでKが死んだときの様子だが、Kが自殺だと考えるにはおかしな点がいくつかある。

・Kは布団に突っ伏している
・掛布団が跳ね返されたように裾の方に重なり合っている(要は掛布団がKの体からめくれている)
・先生の部屋との間を仕切る襖が開いている(そして襖に血がほとばしっている)
・死ぬのに使われたのが小さなナイフである
・刃物による自殺者によく見られる「ためらい傷(逡巡創)」が無い《下 五十
・先生が部屋に入りあたりを見回した時は、襖にほとばしる血と布団に吸収されたたくさんの血には気づかなかった(すなわち血はまだ無かった)
・先生が目を覚ました理由が「まくらもとから吹きこむ寒い風」

Kの自殺動機はお嬢さんへの失恋ではないのだから、先生への当てつけのように襖を開けてから死ぬ理由はない。
頭ガチガチで死ぬ前に律儀に手紙を残す寺息子のKが、布団に突っ伏して自分の首を切る、というだらしない自殺方法を選ぶだろうか。Kのイメージ的には山奥に引きこもって切腹なり首吊なりしそうである。
小さなナイフじゃなかなか首が切れそうにない、つまり死にきれないと想像できるのに小さなナイフを使ったのも不自然。
だいたい布団の上で首を切ったらそこらじゅう血まみれになり、奥さんに多大な迷惑がかかるのはわかりきっている。手紙で「後処理を頼みます」と言って済むようなものではない。
下記はK死亡時の間取り想像図。

この体勢で頸動脈を自分で切るのは難しいのでは?
犯人が布団に突っ伏して寝ているKの掛布団をめくり押さえつけて首を切ったと考えるほうが自然である。


Kが死んだ夜以降の出来事を、先生は手紙で嘘をついている前提で解釈するとこうなる。

『最近Kの様子が妙だ。先生が夜ちゃんと寝ているのかしきりに確認してくる。夜中に何をしているのだKよ、怪しいぞ、と先生は思った。
実はこの時Kは自殺動機を綴った先生宛の手紙を書き始めており、その最中に先生に襖を開けてほしくなかったのだ。先生がトイレに行くにはKの部屋を通らなくてはならない。見ないでくれよ、と。その場で自殺するつもりだったのではない。 こんなことを書いていると先生に知られたら、すんなり死ねないから先生には寝ていてほしかった。

先生は前々(《下 三十七》のあたり)からKの部屋の襖を開けて話をしたいと考えていたこともあり、 Kが寝た後にこっそり襖を二尺(約60cm)ほど開けて部屋に侵入した。このとき襖は閉めなかった。襖は閉めると音が鳴るからだ。
部屋を見渡すとKは布団に突っ伏して寝ており、机には手紙が置いてある。自分宛てだ…もしかして遺書か?神経衰弱ぎみのKならありうる。まえに海辺で「やってくれ」と言っていたのも先生の思考を後押しした。まさかお嬢さんとの三角関係を暴露して死ぬつもりか!? 夢中で手紙の封を切って(このときおそらく小さなナイフを使った)Kの手紙を読むと、やはりKは死にたがっているようだがお嬢さんに関する記述は何故か無い。つまりこれは遺書ではない、Kはこれから失恋について書いた遺書を残して死ぬつもりだ、と先生は盛大に勘違いをした。 先生の頭のなかはお嬢さんへの恋でいっぱいだったのだ。Kの自殺動機は失恋ではないから、そんな遺書は存在しえないのに…。(先生が眠れているかどうかKが確認してきたのが《下 四十三》、 先生がプロポーズをしたのが《下 四十五》なので、時系列的にKの自殺動機が失恋や先生の裏切りではないことは確かである。)

失恋を暴露されたらお嬢さんはどうなるか?傷つく。間違いなく傷つく。そして先生は軽蔑される。軽蔑されることを先生がどう思ったかは不明だが、先生はお嬢さんの純白だけはなにに代えても守らねばならなかった。
顔も学業も先生より優れているうえ日々精進を怠らないKに、先生はずっと畏敬の念を抱いていた。そのKから勝ち取った数少ないトロフィーがお嬢さんだ。お嬢さんの記憶がKによって汚されるなど先生には耐えられない。
焦った先生は布団をめくりKを押さえつけ手元にある小さなナイフでKの首を切り殺害。つづいて手紙の最後に文を書き足す。手紙は遺書ではないのだから、こうして遺書のように偽装する必要がある。 「死」を含む文章を慌てて考えたところ先生の本音《自分がプロポーズするよりも早くKが死んでいればよかったのに、あるいは、遺書を残す前に死んでくれ》が漏れてしまったうえ、文字が書き足したように見えたがまあいいだろう。Kは字が下手だったので容易に真似ることができた。 (《下 三十》に「字の拙(まず)いKは」と書かれている。先生が私への手紙でKの手紙の最後の字が違うことを記したのは、私にヒントを与え自殺の偽装に気づいて欲しかったからではないだろうか。 もし私がKの手紙を手に入れ最後の文に先生の筆跡を確認できたならば、私は先生がKの遺書を偽造したことを確信しただろう。)

部屋に戻ろうかと襖を見ると血しぶきで染まっている。これはまずい、部屋に戻り襖を閉めたら血しぶきの飛んだ位置がずれておかしなことになる。絶対に警察に突っ込まれる。では襖はずっと開いていたことにしよう。Kの部屋に入って死体に気づいた理由もできて一石二鳥。 先生は目を覚ました理由を死体の冷たいイメージに絡めてでっち上げた。「まくらもとから吹きこむ寒い風」というものだ。(読者や私から見て、Kの部屋はおそらく窓のない控えの間。60cmも襖が開いていて風が吹き込むならかなり空気が動いていたはずだが原因を示す記述はない。 雨戸もしっかり閉めてあった《下 五十》。風が吹くとは考えにくい、つまり先生の供述は嘘だとわかる。)
奥さんを部屋に呼んだ先生は最初、Kの死因を誤魔化そうとした。しかし根が善人であった先生はすぐに正直にKの死が先生の責任であると言った。
「やったんです。やった後で驚いたんです。そうして非常に怖くなったんです」《上 十四
奥さんは先生がKに手を下してしまったことを察しつつ、正直に告白した先生の良心を認め、事件の隠蔽を手助けした。

その後お嬢さんと結婚した先生。しかし先生が子供を作らないのは、人の命を奪ってしまったのに授かることなどできないと思っていたか、殺人犯の子供を生み出したくなかったから。純白であるべきお嬢さんを先生自身の体で穢したくないという考えもあったかもしれない。
先生はKが自殺を決めた理由が失恋ではないことに思い至ったが後の祭り。《下 五十三》 (Kの死が本当に自殺ならば、先生はこの手紙を書いている時点でKの死についてなにも責任がないことが自覚できていたはずで、殉死する必要など全く無かった。それなのに殉死した。やはり先生は勘違いでKを殺害している。 《下 五十五》と《下 五十六》で 「明治天皇の崩御」と「死んだ理由がよくわからない乃木大将」を引き合いに出しているのは、建前上は先生の殉死理由を手紙の読者に誤魔化すためで、本音は先生がK殺害の贖罪として殉死を選んだきっかけと考えられる。)

ここまで真実を隠し通せたものの、私があまりにも先生のふところ深くに潜ってくるので「先生はもう耐えきれないので死ぬけど、妻君の記憶はなるべく純白に保存しておいてやりたいから偽りの殉死動機を私に残すよ、私ならいろいろ察してくれるよね」とすべてを託して去っていった。
先生が私に送った手紙に決定的なことは書かれていないし物的証拠もないので、妻君が殺人犯の身内になることはない。そして先生は罪を告白できてスッキリ。

Kは下宿先以外の先生に絶対に見られない場所で手紙を書くことも出来たのにそうしなかった、手紙を見つけてくれと言わんばかりに机の上に置いていたことから、心のどこかで先生に自分の自殺を止めて欲しいと願っていたのではないか。 先生が勘違いと己のエゴでKを殺したりせずに本音で話し合っていれば、先生とお嬢さんはより幸せな結婚生活を送り、Kとは本当の友達でいることができただろう。』



【奥さん】


奥さんが殺人を隠蔽した動機は、奥さんは初対面のときからずっと先生を気に入っていた、Kのことは良く思っておらず下宿に連れてくることも強く反対していた、お嬢さんに好意を寄せる男二人のあいだに起こった事件がお嬢さんへ与える精神的ダメージを考慮した、 神経衰弱ぎみのKとのトラブルに巻き込まれてしまった先生を庇った、等。
病に倒れた奥さんを先生が献身的に介護したのも隠蔽工作に力を貸してくれたことへの恩返しだと考えると腑に落ちる。

先生は介護した理由を手紙に「人間のため」と書いているが嘘である。
人のために何かしたいなら豊富な資産と暇な時間を使ってボランティア活動でもすればいいのに毎日ふらふらゴロゴロしてるだけ。奥さんにだけに何かしなければいけない理由があった。 死体発見時に率先して後処理してくれた礼だとしても奥さんは家主なので処理するのは普通のこと。実の娘の妻君がいるのに夫がそんな熱心に義母の介護をするか?Kを自殺に追い詰めたのが先生だとして大袈裟すぎる。やはり奥さんが殺人の隠蔽工作をしたと考えるほうが納得できる。

先生はほかにも介護した理由として「罪滅ぼし」と書いている。一見するとKへの罪滅ぼしと受け取れるが、先生が奥さんに「殺人事件隠蔽の罪」を犯させてしまったことへの罪滅ぼしだったのではないか。



【お嬢さん(妻君)】


妻君はKの死の原因が先生にあることは察しつつも夫婦生活を続けた。
Kが死んだことを「自殺」ではなく「変死」と私に言っているので、他殺であることに気づいていたのでは?

小説の冒頭に「筆を執って」とあることから、私は過去を回想しつつ先生との出来事を文書化している、すなわちこの小説を執筆していると分かる。執筆時には結婚に対する価値観が変わるほどの年月を経ている。 《上 十二》で私は妻君を指して「奥さんは今でもそれを知らずにいる」と書いているので、妻君は存命で長寿、なおかつ記憶の純白は保たれていると推測できる。

それにしても私はこの文書を書き上げて一体どうするつもりだったのだろう?先生が願ったとおり妻君の純白を最後まで守るのか、それとも…。
同じ章の《上 十二》に「私は今この悲劇について何事も語らない。」とあるので、 私は手紙から読み取れる先生の殺人について今(妻君が生きているうち)は語らないが、偽りの殉死理由はこの文書をもって妻君に伝えるのではないかと思う。 長い年月を経て妻君の余命はおそらく短い。Kと先生の死についてたとえ嘘であってもなにか知らせたほうが心残りなく寿命を全うできそうだ。
文書を読んだ妻君は先生の犯した罪に気づくだろうか。夏目漱石先生には今からでも、私が先生の手紙を読み終えてから文書の執筆終了後にいたるまでの出来事をエピローグに書いてほしい。

ちなみにお嬢さんがK殺しの犯人ということはあり得るか?それはまずない。
理由は先生とKの部屋の間の襖がずっと開いていたから。

血の吹き飛んだ襖を警察が疑わなかったことから、先生が嘘をついていてもいなくてもKが死ぬ前から襖はずっと開いていたのだろう。
お嬢さんが犯人だとして、はたして先生から見える場所でKを殺害するだろうか?少なくとも襖は閉めてから犯行に及ぶはずだ。お嬢さんではなく奥さんが犯人だったとしても同様。仮に先生に殺害の濡れ衣を着せるために襖を開けたのなら、遺書っぽい手紙は隠さないとおかしい。
だいたい女の力では切りつけたときにKが暴れたら敵わない。なお、Kよりも先生のが体力が強いことは《下 三十一》にご丁寧に記述されている。
お嬢さんと先生が共犯だったらどうか?その場合、先生と妻君はともに事件を私から隠す行動をするはずなので考えにくい。
そもそも動機がない。



【私】


父の死に目にもあえず、先生の罪と死という重荷を背負わされた私には同情する。まぁ先生を選んだのは私だが。

ところでこの先生に恋する(《上 十三》で先生は、私の心は恋で動いていると指摘している)純情青年の私は一体何者なのだろう。 先生には何かある、と早い段階で直感で見抜いてる、かといって先生に疑いの眼差しを向けるでもなく神聖視するでもない、中庸で純粋な好奇心が謎。そもそも海水浴場で何日も後を付け回していたのはけっこう怖い。

「こころ」がファンタジー小説だと考えれば、私は神の使い?それとも殺されてすぐに転生したK?
序盤に私は先生のことを「どうもどこかで見たことのある顔」と言っているのでKか。
この小説を読んだ当初読者の自分は、私は妻君に興味がなさそうだからKではないと感じたが、Kは覚悟を決めたあたりでもうお嬢さんから心離れしているので私=Kは物語として成立する。
だとするとKは私に転生後に先生を追い詰めて殉死させておいてなお、過去を思い出しては「先生、先生」と呼び慕っているのか…、なんだか私がヤンデレに見えてきた…。
Kは先生を友人として慕っていたのに理由もわからず殺されてしまい、先生への親しみと疑問を強く魂に刻んで私に転生し再び巡り合った…。

私=Kならば作者の仕込んだトリック云々とは別に、私が先生を「先生」と呼ぶ理由が説明できる。《下 十九》で先生は「名簿を呼ぶ時に、 Kの姓が急に変っていたので驚いた」と述べているので、Kを苗字ではなく下の名前で呼んでいたと分かる。 幼馴染のKもおそらくずっと先生を下の名前で呼んでいただろう。よってKは転生後に先生を苗字で呼ぶことに無意識の違和感を覚えた。 しかし下の名前で呼ぶのはさすがに失礼だったので、年上の人物に親しみを込めた呼称として「先生」呼びを選んだのではないか。

なお私がこの小説を執筆している時点で妻君の消息をつかめる程度の付き合いは続いているということだから、Kは転生後にちゃっかり妻君とくっついている可能性まである。怖い。

上 十三》で先生は私に「恋に上る楷段(かいだん)なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」と言っている。 これを深読みすると、私はまず同性の先生のところに来て、その次に異性の妻君にたどり着くと暗示している…と読めなくもない。 《上 十九》で妻君は私の心臓(ハート)を動かし始めているので、私にまったくその気が無いということもなさそう。 父を看取らず汽車に飛び乗った私が勘当されて家を出て(私は前世と現世で二度も勘当されていることになる)、未亡人となった妻君に誘われ同居、そして結婚…なんて展開もあるかもしれない。夏目漱石先生、エピローグが読みたいです。


補足:先生殉死時に大学を卒業していた私の年齢は最低でも24歳(年齢参考)。 K死亡前の出来事である日清戦争(1894年)〜先生殉死時の1912年(明治天皇崩御の年)まで18年しかなく、私がKの転生者だとすると6年足りない。新生児への転生ではなく、成仏できなかったKの魂が幼い私に憑依したのだろうか。

作者が小説の年代設定でミスしている可能性も無くはない(漱石先生ごめんなさい)。もしも奥さんの夫が亡くなったのが日清戦争ではなく1877年の西南戦争であれば、K転生説の年月は合う。 1877年に西南戦争で夫が死亡、お嬢さんはおそらく5歳前後→数年後、奥さんが成長した娘の婿探しのために下宿生を募集→1888年にK死亡(享年23歳)→1912年に先生殉死(享年47歳)である。このとき妻君は40歳前後。私は24歳。
先生の「主人は何でも日清戦争の時か何かに死んだ」という記述を信用して計算すると、先生は私と出会って数ヶ月の時点で30代前半である。 だが、《上 七》で先生は自分のことを「年を取っているから」と言っている。若い頃と比べてやる気のなくなっている先生とはいえ、30代前半の男性が自分は年を取っていると言うだろうか? この時点で先生は40歳を過ぎている可能性がある。40歳なら更年期が始まって老化を感じてもおかしくない年齢だ。
上 十二》には「先生に限らず、奥さんに限らず、二人とも私に比べると、一時代前の因襲のうちに成人した」とある。 「一時代」を人が生まれてから大人になり子供を産めるまでの期間…当時の結婚可能年齢ぐらいの15〜16年と考えると、私と妻君の年齢差にぴったり一致する。 近所に泥棒が出たときに先生が私と妻君を家に置いて出かけたのは、二人には親と子ほどの年齢差があるし男女の関係にはならないだろうと安心(というより油断)していたからでは? もしも私が20代、妻君も20代だったら勘の鈍い先生でもさすがに警戒するだろう。

奥さんの夫が亡くなった理由、本当に日清戦争だった?西南戦争でなくて? 奥さんの夫は鳥取出身、こちらのページによると鳥取は西南戦争に関係深いようだが、夫もその時その場に居たのでは? 「日清戦争の時か何か」と曖昧な言い方なので、先生が実はちゃんと話を覚えていませんでしたという描写なのかも?先生という語り手は信用できませんよ、という作者からのメッセージか? あるいは登場人物の年齢をぼかしたかった?私の年齢がK死亡から現在までの年数に等しいと、読者にたやすく勘付かれると危惧した? 《上 七》で私が先生から「あなたは幾歳ですか」と尋ねられた後の描写が無いのは、作者が登場人物の年齢を読者に推測させたがっているから?
真実を確認する術(すべ)が見当たらないのが何とももどかしい。



【タイトルの謎】


青空文庫で単語検索して気付いたのだが、この小説、「遺書」という単語が1回しか出てきていない。章の見出しの《下 先生と遺書》だけ。これはなにを指して遺書と言っているんだろう?

思いつく候補は
1、先生から送られてきた分厚い私宛の手紙。私にとっては先生からの遺書。
2、Kが書いた先生宛の手紙。先生はこれを手紙と書いているがKにとっては遺書だった。私から見てもKの手紙は遺書。
3、Kが書くはずと先生が妄想した失恋に関する存在しない遺書。私が先生の手紙を深読みした場合にも私が認識できる。

見出しに堂々と「遺書」と書いてあるのに本文に一度たりともその単語が出てこない…ということは、正解は3か。
章の見出しはすべて私目線だから、私は先生が妄想したありえない遺書を認識している、つまり先生が殺人犯だと気づいている。
そういえば序盤で私は遠回しに「先生が生きていたらと思うとぞっとする」旨を述べていた。本当に何者なんだ、私。


最後に。
タイトルの「こころ」の由来は判明してるのだろうか。
ちらっとネットで検索したところ、当初は漢字で「心」というタイトルだったが後にひらがなの「こころ」に変わったらしい。
その理由は漢字の「心」がタイトルにふさわしくなかったから、かもしれない。
完全に読者である自分の想像だが、作者にとってこの小説は謎掛けになっていて「そのこころは」と読者に問いかけているのではないか。


先生と掛けて遺書と解く。その意(こころ)は?

先生は殺人犯です。



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